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おもちゃ箱の夜

 昼間の学校は南国の海だ。色とりどりの子供達の群れ。それはさながらにぎやかな模様の熱帯魚たちが、差し込む光を受けながら、ゆらめく海草やさんごの間を縫ってところ狭しと泳ぎ回っている水中のようだ。
 でなければおもちゃ箱だ。小さな子供たちや上級生がくるくるとめまぐるしく動き、笑い、楽しげな声をたててたとえ授業中でもじっとしてはいない。
 チャイムが鳴るとともに狭い教室の扉を開け放ち、おもちゃたちは一斉に飛び出して行く。ジャングルジムへ、鉄棒へ、バスケット・コートへ、そしてあるいは図書室へ。それはまさしく、オルゴールのBGMをつけておもちゃ箱を開け放った瞬間だ。
 僕は屋上に上がって、そんなおもちゃたちをぼんやりと眺めるのが好きだ。運動場が見渡せる屋上で風に吹かれながら、天高く舞い上がるサッカーボールの動きを目で追ったり、わき上がる歓声に耳を傾けたりするのが大好きなのだ。
「反町」
 そうやって屋上の柵にもたれかかって運動場を見下ろしていると、後ろから誰かが声をかけた。振り返るとそれはクラスメイトの吉岡だった。
「吉岡。なんだ、今日はサッカー行かなかったんだ」
 僕は首を回してひょいと運動場に目をやった。どうりでウチのクラスが押され気味だったわけだ。
「ああ、あのさ」と吉岡は顔を寄せて声をひそめた。「水曜日、ヒマか?」
「水曜はだめだ。小町さんが来るから」
 僕は即答した。今のところ彼女は、僕の予定の最優先なのだ。
「コマチさん?」
「家庭教師のおねーさんだよ。すっごい美人だぞ」
「なに、おまえ、家庭教師つけてんの? 今から中学受験対策か?」
「ちがうよ」と僕は首を振った。「ほら、僕帰国子女だからさ、国語だけ教えてもらってるんだ」
 実のところその言葉は正確ではなかった。教えてもらってたんだ、とした方がいいかもしれない。
「ああ。それって何時まで」
「ん……一応四時から六時なんだけど」
 小町さんは三時に高校の授業が終わるとすぐ、その足で僕の家に来てくれることになっている。
「じゃあ大丈夫だ」
「なにが」
 吉岡は僕の袖を引っぱって、再び声のトーンを落とした。
「九時っくらいから忍び込んで、学校泊り込んでみないか」
「それ、おもしろそう!」
 僕はその計画にとびつき、思わず大声をあげて吉岡に小突かれた。
「声がでかいんだよ、おまえは」
「悪かったよ」
 こんなところで大声をあげたところで誰にも聞こえないよ、と思ったのだけど、一応謝っておいた。
「で、メンバーは僕と君の二人だけとは言わないだろうね?」
「いや。クラスの男子ほとんどと、女子も何人か。二十人ちょいかな」
「大丈夫なの、そんな大人数で? 見つかったら大変だろ」
「その辺は、抜かりない」
 吉岡は胸を張った。
「計画を話すよ。今度の水曜は、いつも泊まってる宿直のじーさんがいないんだ。俺は家には帰らずに、そうだな、放送室にでも残ってるから。じーさんや先生がいなくなったら第二理科室の窓を開けておく。九時きっかりに来いよ。裏門乗り越えて、菜園の方通って来れば目立たないから。各自食うもん適当に持って来ることな。そのまま次の日までいてもいいし、一旦帰るなら明け方こっそり戻るんだ」
 本当に抜かりないかどうか疑問は残ったが、僕はとりあえずうなずいた。
「トランプとかウノとか、遊びモン持って来た方がいい?」
「いや、その暇はないだろう」
 吉岡は首を振り、自信ありげな笑みを浮かべた。用もないのにあつまるわけじゃないんだぜ、と胸を張り、右腕を伸ばしてこう続けた。
「この企画の第二イベントのAはあれだ」
「第二イベントのA?]
 僕はそのまどろっこしいイベントタイトルを繰り返した。
 うなずく吉岡が指差した先には、水面に映った太陽が、逃げてゆく雲を追いかけでもするように揺れていた。シーズン前のプールだった。
「水曜っつったらちょうど満月だろ。真夜中の風が止まった瞬間、満月の映った水面に、出るらしいんだよ」
「出るって……幽霊とか、その手?」
「あ、幽霊はまた別。それは第二イベントBな。中央階段の一階と二階の間にでかい鏡あるだろ? あれに、真夜中の一時に女の幽霊が映るとか言う」
「それって、あれ? 七不思議とかいう……」
「ところがウチのガッコは五つしかないんだよ。ついでだから全部確かめてみようぜ」
 そう言って吉岡は残りの三つを教えてくれた、音楽室のピアノが勝手になるとかどうとか、どこかで聞いたようなものばかりだった。
「いいけど……メインイベントは何なわけ?」
「ここってさ」と吉岡はくるりと僕に背を向けた。僕もつられて振り向いた。街並みと、はるか彼方に海が広がっていた。
「ほら、市のはしっこにあって、その上高台だろ? 市内で一番眺めがいいんだぜ。夜なんかすっげー綺麗でさ」
 僕はちょっと意外そうな顔をしたかもしれない。吉岡の口から『綺麗』なんて言葉が、それも夜景が綺麗なんて言葉が聞けるとは、思ってもいなかったからだ。その僕の表情に気付いたらしく、吉岡はむっとしたようにこう言った。
「そんなに驚くなよ。こう見えても俺はロマンチストなんだからな」
「そう……なのか?」
 不服そうな僕の台詞を、吉岡は聞かなかったことにしたらしかった。
「……。高梨のやつがさ、転校すんだよ」
「こんな時期に? 学期末までいられないの?」
 僕は驚いて吉岡を見上げた(僕だって四年生にしては大きい方だが、吉岡は学年で一番背が高いのだ)。高梨くんは去年も今年も同じクラスで、名列で並んだときに僕のすぐ後ろになる関係で、よく同じ班になったりしていた。去年僕が転校して来たばかりの頃なんてずいぶんと世話になったものだ。
「あいつさ、ずーっと前から言ってたんだ。いつかクラスの連中で学校忍び込んで、一緒に夜景見ような、って」
「それでその夢を叶えてあげようってわけか。君って結構いいやつなんだね」
 僕は言った。吉岡が何か言おうと口を開きかけたところで、掃除準備の音楽が流れ始めた。五分以内に掃除場所へ行きましょうとよびかけるアナウンスが聞こえ、運動場に出ていた連中もそれぞれが校舎へ向かって走り出した。サッカーの試合は隣のクラスの勝ち逃げらしい。得意そうに駆けてゆく後姿に、僕のクラスの何人かが大声で悪態をついた。遠いのと校内放送に邪魔されて台詞までは聞こえなかった。
 校内放送は実際校舎内できくよりも、こうやって外のスピーカーから聞く方がだんぜん風情がある。まるでわたあめの中にとじこめられたようなこの音の感じが、僕は気に入っているのだ。
 アナウンスが終わり、絞ってあった音楽のボリュームが上がった。そろそろ動き出さないと掃除に遅刻してしまう。つまり反省表の僕の欄に、ペケがひとつついてしまうじゃないか。余談だけれど、ウチの掃除場ではペケが三つつくと大掃除のときに一人でモップがけ及びモップ洗いをしなければならないという、血も涙もない罰ゲームが実施されるのだ。
「吉岡掃除どこだっけ?」
「図書室だけど」
 図書室の掃除は仕事が楽なことで有名だ。学期始めの掃除場所決めでは最も競争率が高い持ち場の一つだった。そういえば吉岡が半ば力ずくでこの場所を獲得していたのを、僕はたった今思い出した。
「僕東階段だからさ、図書室まで一緒に行こうか」
「俺今日はフケようと思ったんだけど」
「何言ってんだよ。さ、行くぞ」
 しぶしぶながらついて来た吉岡を図書室に放り込み、自分の持ち場である東階段三階までたどり着いたところでチャイムが鳴った。
「なんだ、間に合ったか」
 すでに反省表とシャープペンシルを構えていた班長は、いかにも悔しそうに舌打ちをした。そして意地悪く笑うと、嬉しそうにこう続けた。
「でも残念だったわね反町。ホウキも乾拭きももうみんな取られてるから、今日はあんたが水拭きよ」
 たぶんどの掃除場でもそうだと思うのだけれど、掃除をするにあたって最も人気の高い仕事がホウキ係である。以下乾拭き→水拭きという準で競争率は低くなり、つまり水拭きというのは最下層に位置する仕事なのだ。掃除場によってはこれらの分担を曜日ごとの交代にしているところもあるが、我が東階段三・四階にはそんな民主的な制度はない。要するに早い者勝ちの、厳しい競争社会なのだ。
 僕はしぶしぶ雑巾を濡らしに洗面所へ向かい、満足そうにうなずく班長の元へもどって手すりを拭きながら思い出した。
 真夜中のプールに一体何が『出る』のか、僕は聞くのをすっかり忘れてしまっていた。

 


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