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あの夏に手が届く

 僕たちの通うこの学園は、小学校から大学まで完全エスカレーター式の、世間では名門と呼ばれる男子校だ。この区域にあるのは初等部と中等部。校舎の裏手にはそれぞれの寮が配置されている。初等部と中等部の校舎は渡り廊下で繋がれていて、講堂や視聴覚室などのいくつかの施設を共有している。
 僕たちが人気のなくなった教室の気怠い空気を楽しんでいると、弟のソウタが初等部の校舎からやって来た。思ったより終業式が長引いたとかで、彼は遅くなってゴメンねと僕たちに頭を下げた。
「いーけどさ。それよりお前、それは通知簿?」
 僕はソウタの手の中にある白い物を発見して言った。ソウタがすかさず後ろ手にそれを隠そうとする。
「ソウタ、いいから大人しくおにーちゃんに見せてごらん」
「やだ! なんだよ、こういうときばっかり兄貴面してさ」
「こういうときもどういうときも、俺はお前の兄貴なんだからしょうがないだろ」言いながら僕はフジイに目配せをして、ソウタの後ろに回らせた。
 そっと近寄ったフジイがOKサインを出したのを確かめ、僕は頷いた。「よしフジイ、取り上げろ」
 ソウタは驚いて後ろを振り返った。けれどすでに通知簿はフジイの手の中にあり、抗議の声を上げるソウタを横目に彼はそれを開いていた。
「……なんだ」と、フジイはつまらなさそうな声をあげた。「隠すほどのことないじゃないか。アキラが初等部にいた頃は、こんなにいい成績とれてなかったぞ?」
 一言多い。ちなみに僕とフジイは初等部五年からずっと同じクラスの腐れ縁なのだ。確かに僕は初等部の頃いい成績を取ったことなどないから、残念ながら反論はできなかった。するとソウタは生意気な声をあげた。
「そりゃそうだよ。兄さんと一緒にしないでよ」
 僕の隣でその様子を眺めていたカズミまでもが、大きく頷いて付け加える。
「そうだなー。アキラは補習で仕方なく寮に残ったクチだもんな」
「お前もそうだろ」
 これにはさすがにムッとして、僕は抗議した。僕が英語の補習のために残寮するのは事実だが、カズミは僕より二科目も多く補習をつけられていたはずだ。
「どっちもどっちだろ」とフジイは癪に障る笑い方をして、「ソウタも可哀想だよな、にーちゃんの都合に付き合わされて」
「俺は別に、ソウタ一人で帰ってもいいぞって言ったんだぜ」
 僕はわざと、少しだけぶっきらぼうな口調で言った。
 自分に補習がついた時点で、僕はソウタにこの夏をどうするかの選択をさせた。つまり、僕に付き合って寮に残るか、一人でも実家に戻るか、だ。ソウタは間髪置かずに今年は家には帰らないと答えた。そしてその宣言通り、さっさと残寮手続きを取ってしまったのだ。彼の担任が僕に確認をとりに来た時、僕は実は彼が一人でそこまで行動しているとは知らなかった。
「僕、中等部の寮って一度泊まってみたかったからちょうどいいんだ」
 嬉しそうにソウタは言った。カズミはそうなのか? と首を傾げたみたいだった。
「けど寮の造りなんて初等部も一緒だろ?」
「いいじゃない。泊まってみたかったの」
「ま、わからんでもないけどな。よかったよな、許可取れて」
 フジイは大きく伸びをしてしみじみと続けた。
「しかしやっと夏休みだな」
「ああ、そうだな」
 僕が頷けば、すかさずカズミが茶々を入れる。
「お前とオレは明日っから補習三昧だけどな。それにしてもあれだよな」
「ああ、暑いよな…………」
 カズミの台詞を受けたレイトが、開いたシャツの胸元に風を送りながら大きく頷いた。が、カズミは違うよと首を振って笑った。
「違うよ。オレが言おうとしたのは、それにしても校長の話が長かったな、ってコト」
 レイトはそれを聞いてああ、と頷き、苦笑した。
「でもまあ、いつものことじゃないか」
 僕たちは肩をすくめた。校長の話ときたらそれはそれは学園名物になるほどの長さで、何分で終わるのかは式典の度に生徒たちの間で賭けの対象になっているくらいだ。今日の終業式はどうもいつにもまして長かったようで、僕たちはあの暑い講堂に座ってその試練の時を過ごさなければならなかったわけだ。
「講堂の中も、あれだけ暑いと寝てもいられないからな」
 フジイが言い、僕は頷いた。
「冷房入れてほしいよな」
「まったくな。無理だろうけど」
「無理だよなぁ……」
 蝉の声、生温くて動かない空気、薄ぼんやりした明かり、マイクを通したくぐもった声。夏の講堂っていうのは独特の空間だと思う。若者が溢れているにはふさわしくない、まるで不健康で、どんよりした時間がそこでは流れる。だからこそ開け放たれた扉をくぐる瞬間の僕たちは、青空を目にしてあんなにも晴れやかな笑みを浮かべるのだ。
 
 フジイ、カズミ、レイト、そして僕。クラスでもなんとなくグループっぽくなっているメンバーだ。以前から寮で顔を合わせてはいたが、今年クラスが同じになってからは、ソウタも加えてしょっちゅうつるんでは遊び回るようになっていた。
 初等部の寮は夏休み中は完全に閉鎖される。そこでソウタは特別に、中等部の僕の部屋に泊まり込むことを許されたのだ。それはソウタ本人のたっての希望だった。許可が下りると、ソウタは僕たちに中等部の寮の中を探険しないかと持ちかけた。僕たちは彼のその提案に飛びつき、さっそくひとつの計画を立てたのだ。
「なあなあ、例のやつ、今日やるの?」
 カズミは目を輝かせ、少しだけ声を落として言った。ソウタがうん、と首を振る。
「例の、って?」
 間の抜けたレイトの質問に、カズミはじれったそうに答えた。
「言ってたじゃないか。あれだよ、開かずの間の探険!」
「ああ……本当にやるのか?」
「あったりまえだろ? な、ソウタ」
「うん!」
 カズミとソウタはお互いの手のひらを合わせてにやりと笑った。ソウタがいとも楽しそうに続ける。
「僕、クラスの友達に自慢しなくっちゃ」
「なんだ、それ? 初等部の方でまで噂になってるのか?」
 僕は訊ねた。開かずの間のことは中等部ではもちろん有名だが、初等部にまで行き渡っているのだろうか。
「うん、有名だよ。寮生じゃない子でも知ってる」
「へえ、そうなんだ? やっぱそういう話って広まるんだな」
「みんな羨ましがるだろうな。写真撮っていいかな?」
 馬鹿なことを言い出したので、僕はソウタの頭を小突いた。
「バカ、忍び込んだ証拠残してどうすんだよ。寮監にばれたらどうすんだ」
 するとソウタは口を尖らせて恨めしそうに呟いた。
「幽霊でも写ってたら、みんなに見せびらかせるのに」
「とか言って実際に写ってたら、ソウタが真っ先に恐がるくせにな」
「そんなことないもん」
 フジイに言われて、ソウタはますます頬を膨らませた。カズミはその様子を見て喉を鳴らして笑い、それから思い出したように僕に言った。
「そう言えば鍵ってどうなってる?」
「ああ、そうだったっけ。フジイ、首尾は?」
 矛先を向けられたフジイは、まあ任せろよと不敵な笑みを浮かべ、ポケットから銀色に鈍く光る小さな鍵を取り出した。彼が大袈裟にそれをかざして見せ、僕たちは一斉におおっ、と喚声をあげた。僕はこの時ほどフジイを尊敬したことはなかった。
 中等部の寮に暮らす者なら誰もが知っている開かずの間。それはどこの学校にもあるような、いわゆる七不思議のひとつで、十年も前に一人の生徒が首を吊って自殺したといういわくつきの部屋だった。以来その部屋の扉は固く閉ざされ、決して誰も足を踏み入れることはなかった。その開かずの間に忍び込むことを、僕たちは計画していたのだ。それは夏休みに入って僕らが共有する最初の、そしておそらく最大のイベントだった。
 計画を実行するにあたってまず必要なのが、当然ながら開かずの間の鍵だった。どうやって鍵を手に入れるか、それが最大の難関だったが、こうしてその禁断の鍵は僕たちの手に入ったわけだ。フジイはこういうことになるとその才能をいかんなく発揮する。フジイに鍵の入手を任せた僕の人選は正しかった。彼は一見クールで大人ぶって見えるけれど、実際こういった冒険じみたことが誰より好きなのだ。
「この通り、準備は万端だ。予定通り今日の夕食後、作戦を開始する」
 芝居じみた声でフジイは宣言し、頷く僕たちをぐるりと見回して、にやりと笑って見せた。

 


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